2011年4月27日水曜日

チェルノブイリ25周年、東電前キャンドルデモ(4.26)

昨日写真友達のCharlieさん、Seanさん、Bellamyさんの4人で、新橋の東電本社前のデモに行って来た。外国の人に連れられて、自分の国の原発反対デモについて行く、というのも間抜けな話。だが実際誘われるまで、そんなデモがあることすら知らなかった。Bellamyさんから、「日本人はなんで抗議しない?恥ずかしいよ!」と言われ、まったく反論できず。










4月26日で、あのチェルノブイリの原発事故から25周年だという。この日のデモは、東電本社前でチェルノブイリへの追悼と共に、東電への抗議を行うというもの。デモ慣れした活動家らしき人も多数いたが、時節柄、帰宅途中のサラリーマンも飛び入りでかなり参加していた。

拡声器でかわるがわる演説する人たちの話を、キャンドルを手に熱心に聞き入る人々。ブツブツ言う人、頭を抱える人、野次る人など反応はそれぞれ。賛成の人も反対の人もいるだろうが、確実に言えるのは、今「原発」というものが、僕らの生活を脅かすものとしてズッシリのしかかっているという事実。ほとんどの日本人は、原発を積極的に賛成しないまでも、必要悪として、消極的に肯定している、そんな感じではなかろうか。

僕らの社会が電力に依存している以上、原発問題は感情論では済まされない、と僕は思う。原発は恐ろしい。原発反対!では代賛エネルギーは?と言われれば、人類は原子力ほどに安定したエネルギー元を、他に持っていないのが現実。電力のほとんどすべてを原子力で賄っているフランスは、フランス人が原発に無知だから、なのではない。それはリスクを背負った上での、フランスの社会のシビアな判断の結果なのだ。

その意味で、原発問題はメビウスの輪に似ていると思う。問題は、大量の電力を必要とするぼくら一人一人の生活、および社会のあり方が問題なのだ。その需要と供給のサイクルの中に、原発はがっちりと組み込まれている。だから原発の是非を問うことは、僕らの生活や社会のあり方を問うことに繋がる。

世界で唯一の核爆弾の被爆国でありながら、非核三原則を貫くことができなかった日本。だからこのままいけば、なんとなく原発を容認する社会を、続けていくことになるだろう。政権与党も、経団連も、誰も「原発を廃止する」とは言っていない。それは、僕らの社会が原発を必要としているからだ。だが、果たしてそれで良いのだろうか?

最後に、演説していたドイツ人の言葉が心に残ったので書いておく。
「今、世界中が日本に注目しています。もし、日本人が脱原発を実行すれば、それは必ず世界に良い影響を与え、世界がそれについていくでしょう!」

私は原発に反対だ。今こそ、原子力に依存しない社会を、日本人の叡智と技術力を結集して、開始すべき時だと思う。それが、世界で唯一の核爆弾の被爆国であり、今回の福島の事故を経験した、日本人の義務だとすら思っている。

4 コメント:

  1. どれもいい写真です。
    素晴らしい

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  2. ありがとうございます!いろいろ考えさせられた一日でした。

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  3. ここ、私も行きました。
    写真。載ってました・・・
    いまだ、解決しないのが辛いです。

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  4. 確認が遅れましてすいません。
    ここに行かれたんですね。自分もいろいろと考えさせられました。ほんとうに、事態はまだまだ悪くなる一方で。早く解決できるといいですね。
    コメントありがとうございました!

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