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Thomas Orandのこと。

by on 2011年5月9日月曜日

photo by Dairou Koga

先日親友のThomas Orand(以下トマさん)の家に行って、いつものようにプリントを見せてもらった。同じ写真を撮る者として、ちょっと悔しいことに、そのとき見たプリントの衝撃がまだ収まらない。このモヤモヤをすっきりさせるためには、トマさんの写真について書くほかなさそうだ。

トマさんの写真をはじめて見たのは4年前、フリッカーの中でだ。今のトマさんは、ハッセルブラッド+モノクロ+バライタという不動のスタイルを確立している。でもその頃のトマさんはスタイルを模索していた。デジカメ、トイカメラ、35mm、中判と、いろんな機材を通じて彼の荒削りな才能がスパークしていた。この頃のトマさんの写真を見れて、私は幸せに思っている。だがトマさんの写真の速度は速かった。あっという間に彼は、自分のスタイル-自分にしか撮れない写真の型を発見した。彼は自家暗室を作り、モノクロの、正方形の写真しか撮らなくなった。彼はもう、写真を通じて「一つのこと」しか言わなくなった。その頃だろうか、彼はフリッカーにアップしていた写真をすべて削除した。私はそれを密かに嘆いたが、自分のスタイルを掴んだ彼にとって、過去の模索時代の写真は見るに耐えなかったのだろう。

トマさんの写真の現在は、インターネットの中にはない。彼が申し訳程度にやっているフリッカーも、たまにしかアップしないブログも、彼が家に行くたびに見せてくれる膨大なプリントの量に比べれば何でもない。彼は一人で写真を撮ることを好み、飲み会や友達と会うときには、愛用のハッセルブラッドは絶対に持ってこない。彼は細やかな気配りのできる、人付き合いのいい愛すべき友人だが、彼の撮影に同行を許されるのは孤独だけだ。こと写真に関する限り、トマさんほどのスーパー・エゴイストを私は他に知らない。彼は孤独を愛し、暗室で嗅ぐ薬品の香りを愛し、バライタでしか浮かび上がってこない階調を愛す。インターネットの偽りの交際よりは。




photo by Thomas Orand

トマさんの写真に写っているものは、平凡という言葉すら無用なほどに当たり前なものばかりだ。そんな彼の写真を見るたびに、「何という自信だ」と密かに舌を巻く。見る者の眼に対する信頼、写真に対する絶対の自信なくして、かくまで平々凡々たるものを撮ることはできないだろう。それはあたかも、安易な記号や、言葉をそこに求めようとすることを絶対に拒否するかのようだ。トマさんの写真は僕らに、他の何ものでもない「写真を見る」ことを要求する。写真を、写真として見、写真として感じ、さらには写真の中に入ってくることを求める。気がつけば、ロダンの彫刻や、セザンヌの絵画の前に立つが如く、言葉を忘れ、ひたすら凝視する自分を発見する。そしてトマさんの写真を見たあとはいつも、写真という不思議なものの実体が、少しだけ「見えた」気がするのだ。

写真から受ける感じは人それぞれだろう。身近な友人の作品について、あれこれ書く失礼をしたくはなかったが、私がトマさんの写真から受ける印象を、備忘のためにここに記しておく。


長年取り組んでいるシリーズである、雪の風景を撮るThomas Orand。

Blog : THOMAS ORAND
Portfolio : Thomas Orand Photographs

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