写真集を読む 「THE AMERICANS」 ROBERT FRANK

by on 2009年9月7日月曜日


私の蔵書の「THE AMERICANS」

私も時々雑誌などで、「本屋がお勧めする一冊!」的な文章を書くが、いい加減なものだと自分で思う。実際紹介した本で、それまで読んだことのない本もあったし、「私が最も影響を受けた一冊」といいながら、最後にその本のページを開いたのは10年前だったりする。ある意味で本屋の仕事とは、知らない本をあたかも知っているように、よく知っている本を初めて読むかのように人に伝えることなのだが、この「THE AMERICANS」は違う。私が写真を始めた頃から今日に至るまで、いつも座右にあって、繰り返しインスピレーションを与えられた写真集なのだ。

これはスイス人の写真家ロバート・フランクが、1955年から56年にかけて、アメリカ全土を旅して撮った写真を収めたものだ。題はそのものずばり「アメリカ人」。ごまかしもハッタリもない、恐ろしいまでに大胆な題名である。どだい、あの広大な土地に住み、世界一多様な生態を持つアメリカ人を、一冊の写真集に集約することなど不可能だ、と誰しも思う。確かに、不可能である。だがこの写真集の凄さは、その不可能に、今なお誰も超えられない、一つの答えを提示した点にある。
ロバート・フランクのアメリカ人は、我々がテレビや雑誌で眼にするアメリカ人ではない。彼ら自身ですら、見落としてしまうほど真実な姿が、実に丁寧に写真の枠で切り取られている。熱狂や興奮が求める視線とは逆の方向に向かって、彼のカメラは、静かに、そして孤独に、アメリカ人の底流の方へと降りていく。そして彼がシャッターを押した瞬間は、アメリカ人が見せたい彼らの姿でも、私たちが見たいアメリカ人でもない、あるがままなアメリカ人の姿をストレートに写し出す。一見何気ない写真の羅列のようなこの写真集だが、あるがままな姿を捉えるという点で、驚くほど多彩なのだ。しかもそれらの一枚一枚が、感動的なまでに”写真”なのである。

ラルティーグアッジェの時代から、写真は身近な真実を写す道具として進化してきた。1950~60年といえば、ライカによって35mmの小型カメラが普及し始めた頃だ。ロバート・フランクも、バルナック・ライカと35mm、50mm、90mmの3本のレンズで、この写真集を撮影している。
小型の35mmカメラの普及によって、写真の撮影に、大掛かりなセットも、被写体の演技も不要となった。被写体が気付くより先に、あるいは気付かれないままに、撮影することが可能になったのだ。映画とも絵画とも違う、身近な真実を記録する写真独自の表現が、こうして完全に可能になったのである。

ロバート・フランクの写真は、この写真独自の表現の、ひとつの極致を現したものだ。それはフィクションではなく、そこに登場する人々も役者などではない。彼らは、現実の生活のなかで泣き、笑い、それ以外の時は大抵ボンヤリとした表情を浮かべている、あるがままな「私」や「あなた」である。そんな彼らの偽りない姿を、ロバート・フランクは、最大限の共感と、それと同量の傍観によって、最高度の写真に仕立て上げた。この写真集が、「アメリカ人」という枠を超えて、多くの人々の共感を呼ぶ理由もそこにある。


Pentax SP / Takumar 50mm f1.4 / Fuji NEOPAN 400 [銀座、東京]

There is 2 comments in this article:

  1. はじめまして。
    沖縄の俳人で写真家の豊里友行と申します。
    やっとロバート・フランクの「THE AMERICANS」を購入しました。
    いい写真ですね。
    批評性、詩的映像力。
    古典といういってもいい作品です。
    これからもどうかよろしくお願い致します。

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  2. ありがとうございます。アメリカンズは私の一番好きな写真集です。こちらこそよろしくです!

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