Strong men also cry.

by on 2012年12月12日水曜日

 年末で私の副業である郵便局が忙しい。私は郵便局では(郵便局でも、というべきか)、よく休み、休憩時間も人一倍多くとる不良期間雇用社員NO.1であるが、そんなズボラな私ですら忙しさを感じるほどの忙しさだ。

 8時15分にいつものように郵便局の仕事を終え、家で少し休んだあとairbnbの撮影で渋谷区某所へ。最近毎日のようにairbnbの撮影依頼がくるが、少しづつ日本でも浸透してきているのだろうか。家庭持ち賃貸住み高卒の古本屋の親父(兼写真家、兼郵便局員)な私にすれば、いい小遣い稼ぎになって嬉しい限りだ。
 今のところairbnbは、お金持ちのバイリンガルな日本人、もしくは日本在住の外国人の撮影依頼が多い。最初の頃は豪華な家に伺うたびに感動したり落胆したり(自分と比較して)していたが、最近は家賃80万の高級マンションに伺っても何とも思わなくなった。慣れである。撮影はだいたい1時間。今日も自分なりにいい仕事をさせてもらった。ただ途中、郵便局の疲れか、どんなにファインダーを覗いても何も良いと感じないプチ・ゲシュタルト崩壊が起きてしまった。

 家に帰ってパソコンを開くと、日本古書通信から連載の〆切の催促が目に入る。〆切が近づくとメールボックスを開くのが心底恐ろしい。連載をはじめて2年になるがこればかりは慣れない。

 もろもろ片付けてから、親友のろでぃ氏が写真を撮っている田中龍作ジャーナルを見る。小沢一郎、良い写真だ。落日の昭和の大物政治家の悲しみがよく出ている。政治は詳しくないから小沢一郎が今回どうなのか知らない。だが離縁された妻から落選工作を受ける中での選挙はさぞ辛いことだろう。ろでぃ氏が撮った写真で小沢一郎の目から涙が垂れているが、もしかしたらふと家族のことを思い出したのかもしれない。男にとって、家族がゴタゴタしているほど辛いことはないものだ。自分は小沢一郎より幸せだ。

 私は写真家は貧たりとはいえ芸術家だと思っている。そして芸術家は、私が尊敬する芸術家がそうであるように、最も高貴な職業だと思っている(たとえ貧しくても)。だから私には、有名人を撮りたいという欲望はほとんどなかったりする。政治家でも芸能人でもいいが、有名人を撮る、すると彼らが「主」で写真家が「従」という、その力関係が写真家至上主義な私には耐えられないのだ。世間の評価ではなく、何を撮る・撮らないは、写真家が自らの判断で決めるべきことだ。有名人であっても撮らないときは撮らないし、たとえ無名の一市民であっても撮りたいときは土下座してでも撮る。

 だがろでぃ氏の小沢一郎の写真を見て、「被写体の強さ」というものに気がついた。写真の良さとは、撮影者の技術や感性が半分、残りの半分はどうしても被写体のものだ(その奥ゆかしさが写真のいい所)。そして被写体が良ければ、この両者が相乗効果を生んでプラス以上の作品を作り出す。小沢一郎がいい政治家かどうかは知らない。だが被写体としては間違いなく一級品だ。

 さて世間で水曜日と言われている今日は、午前中にairbnbの撮影が入っている。それまでに溜まった仕事を片付けたり着手したりしないといけない。そして夕方からは郵便局の仕事だ。もう時間や曜日の感覚がメチャクチャである。そんなワーキングプアな生活も6年目。合掌。

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